みなさんこんにちは!毎日ワイン食堂ソムリエのひかるです。
当サイトに来ていただいてありがとうございます!
私はワインを楽しく伝えるワインコミュニケーターとして活動しています。
今日はお手伝いをしているアグリ株式会社さんとコラボレーションの第4弾!
ワイン初心者でも楽しめるワインの知識をわかりやすく楽しくお伝えします。
アグリさんは現地から直接仕入れることで高品質で低価格なワインを輸入されているので
ワイン初心者の強い味方です!
ワイン生産国は世界中にあります。しかし様々な国のワインが飲める国はあまりありません。日本はそのなかでも飲める種類がひと際多くあります。
珍しいワインを味わってみたい。それが実現する素晴らしい環境なんですね。
今日はアグリさん主催のモルドバワインのセミナーに参加しました。
モルドバワインの輸入量国内トップシェアを誇るアグリ株式会社。
講師に迎えたのは「遠藤エレナさん」。モルドバ農業省管轄のモルドバ・ブドウ・ワイン協会の日本代表を務め、“モルドバワイン・ブランド・アンバサダー”として活躍。
ソムリエ教本のモルドバの章を執筆されている「モルドバワイン」のスペシャリストです。
とても充実したセミナーだったので2回に分けてお伝えします!!
今日はモルドバのワインセミナー!
モルドバ!珍しいわねっ
モルドバってどこ?
昔はよくモルディブと間違えられました(笑)
たしかに、間違えてしまうわ!
「昔はよくモルディブと間違えられました」と苦笑するエレナさん。
モルドバっていったいどこなんだろう?まだまだ知られていないモルドバ。
実はウクライナのお隣さん。
ヨーロッパ大陸の東側、東ヨーロッパと呼ばれる国々の一つで、北はフランスのブルゴーニュ地方、南はボルドー地方と同じくらいの緯度にあります。つまりワイン造りに最適と言われるワイン・ベルトに位置しています。
モルドバ共和国について
1991年にモルドバ共和国として独立しました。
首都はルーマニア語でキシナウなんです!
そうなんですね!初めてしりました。
首都はキシナウです。旧ソ連の衛星国だった時代は「キシニョフ」と呼ばれていましたが、現在はルーマニア語の「キシナウ」に戻されました。2022年より日本でも正式に名称変更。
農業とワインが主な産業で現在EUの加盟国を目指しています。
国土面積は33,843 km²で九州より少し小さいイメージですね。(九州の面積36,780 km²)
モルドバの歴史について
モルドバの先住民は古代ダキア人です。そこへ古代ローマ帝国が侵攻。
ローマ人はモルドバに様々な文化や技術を持ち込み、その後、両民族は友好関係で結ばれ経済的にも発展をしていきました。そしてルーマニア民族が誕生したのです。
モルドバ人はルーマニア人と同じ民族です。ルーマニアとはローマ人の国という意味です。
民族の誇りをお持ちなのね!素晴らしいわ。
その後様々な民族の侵攻を受けましたが、1359年モルドバ公国が誕生。
そして1400年代半ば~1500年初頭、モルドバの黄金期、シュテファン大公(シュテファン・チェル・マーレ)の時代がやってきます。
シュテファン大公は他国の侵攻などによる約40回の戦いに勝利し、正教会の聖人としても崇められた偉大な英雄で、国民に自由と繁栄をもたらしました。
現在のモルドバ紙幣にもシュテファン大公が印刷されているほど、モルドバの人々に敬愛されています。
シュテファン大公はワインが大好きだったので、ワイン文化が花開いた時期でもありました。
しかしシュテファン大公没後はオスマン帝国の侵攻をうけ、約300年の支配が続きます。
オスマン帝国はイスラム教なので、公の場でお酒を飲むことが禁じられ、ワイン文化は衰退してしまいました。
大ルーマニアの誕生から独立へ
シュテファン大公没後はロシアとルーマニアの間で領土の奪い合いが続き、両国の事情で割譲が繰り返されます。
そして1918年、第一次世界大戦で領土を広げたルーマニアによる“大ルーマニア”が誕生し、現在のモルドバ共和国もその一部になりました。
しかし1940年、ベッサラビア地方(現モルドバ共和国)がソ連領となり、その後ロシアとルーマニアとの協定によりモルドバはソ連の衛星国になります。
モルドバ内ではソ連分離活動が活発化し、1991年のソ連崩壊後に「モルドバ共和国」として独立を果たします。
モルドバ共和国の国旗の中央の紋章は、ルーマニアの基となった中世ルーマニアのモルダビア公国のウシの紋章とワラキア公国のワシの紋章を組み合わせたものです。
モルドバワインの歴史
「ダキア人時代から5000年。ワイン造りの古い歴史があります」
ダキア人時代から5000年!とてもながいワイン造りの歴史があります。
フランスよりもはるかにながいですねっ!
モルドバでは約5000年のワイン造りの歴史があります。もっとも古くからの歴史があるとされる国はジョージアで約8000年。東から西にワイン造りが伝わっていったのですね。
シュテファン大公時代にはパハルニック(杯を持つ人)と呼ばれるソムリエのような役職がありました。ワイン造りの実績のある人物が任命され、ブドウ栽培、収穫、醸造の監督を行っていたのです。
19世紀後半までは土着品種中心のワイン造りが行われていました。
ロシア帝国時代にはロシア貴族のために生産を増加。宮廷で人気のあったフランス系ブドウ品種はこの時期に多く導入されています。
そしてフランス・パリ万博で行われたブラインド・テイスティングによるワイン品評会で、モルドバのシャトー・プルカリのワインが新しい高級ボルドーワインと間違われるほどの高評価を得たのです。
これがモルドバワインの衝撃的なデビューとなり、プルカリのワインはイギリスなど各国王室の御用達にとなり世界的に名を轟かせることになったのです。
シャトー・プルカリのワインはアグリさんでも取り扱っています!!
フィロキセラの影響でハイブリッド種が誕生
世界中でワイン産業に大打撃を与えた害虫フィロキセラ。モルドバでも1886年に発見されました。被害は大きく約18万ヘクタールのぶどう畑が消滅したのです。
一般的な対処法はフィロキセラに耐性のあるアメリカ系品種を台木にして接木をします。
しかしモルドバでは、比較的低予算でできるフィロキセラに耐性のある品種と交配する方法を採用しました。
ハイブリット種はブドウ本来の風味が損なわれると好まない生産者もいましたが、現在では試行錯誤の末、すばらしい品種が次々と生まれています。
例えばヴィオリカ。セイベル13666とイタリアのアレアティコの交配から生まれたモルドバのオリジナル品種です。
セイベル13666はヨーロッパ系ブドウとアメリカ系ブドウの交雑種、アレアティコはイタリアの古くからあるブドウ品種。よってヴィオリカはクオーター・ハイブリッドとなります。モルドバの寒い気候に耐えられように作られた品種ですが、ワインはフローラルな芳香に富み酸味が鮮やかで、個性的な魅力があります。
ソ連支配下時代のモルドバワイン事情
今でもあまり語りたくない人が多い時代です……
悲しい歴史ね……
旧ソ連時代のモルドバでは甘口で低アルコールの大量消費ワインが生産されており、ワイナリーはまるで巨大な軍需工場のようでした。
また1980年代には禁酒運動が展開。8万ヘクタール以上のブドウ畑が消失したと言われています。
現代モルドバワイン事情
現在はモルドバワインの価値があがってきています!
価値のあるものはしっかりと認知されますね!
旧ソ連崩壊後、1991年にモルドバ共和国が誕生します。
そして新しく生まれ変わったモルドバワインの素晴らしさを世界的に発信するために、2013年に「モルドバ・ブドウ・ワイン協会」が設立されます。
それをきっかけに海外からの投資も増え、ワインの品質が飛躍的に向上。
ワイン用ブドウ畑の面積は67,400ヘクタールまで回復し、海外に向けて高品質なワインをどんどん生産するようになりました。
モルドバワインの輸出転換
モルドバワインの生産量は年間1億8000万リットル。これは日本ワインの生産量の約10倍ほどです。そのうち95%は輸出向けです。
コスト・パフォーマンスの高さが評判を呼び、モルドバワインは世界的に人気を博しています。
最後に
モルドバの歴史から現代ワインまで。様々な苦難を乗り越えて今の素晴らしいモルドバワインがあるのですね。知らなかったことだらけで本当に驚きました。“知られざるワイン大国”モルドバのことをもっともっと知りたくなりました。
次回は現地のワイナリーやおすすめワインについて、お伝えしたいと思います。
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